信頼の構造: こころと社会の進化ゲーム
山岸 俊男(著)
https://gyazo.com/0068c295884f2cb159677ac927f9c807
紹介
「安心」を求める集団主義は信頼を破壊する。世の中で最も信頼できるはずの金融機関は、なぜあれほどまでに国民の信頼を裏切り、逆に総会屋を「信頼」したのか。進化ゲーム論からのみごとな推論と実験データから大胆に提言する現代人の必読書。 目次
1章 信頼のパラドックス
2章 信頼概念の整理
3章 信頼の「解き放ち」理論
4章 安心の日本、信頼のアメリカ
5章 信頼とコミットメント関係の形成
6章 社会的知性としての信頼
終章 開かれた社会の基盤を求めて
サクラダリセットという小説の中で、
「君の愛する人が声を失って、視力を失って、四肢を失って、意識を失って、体を失って、何もないただの石になってしまったとして、それを愛し続けることができるか」という問いが出てくる。
これは私の中では明確に「できる」だし、多くの人が「できる」ではないかと思う。
そしてそれと同じ地平線上で、たとえ私の愛する人が、私以外とも体を重ねるとして、誰かに心惹かれたとして、私を愛さないとして愛し続けることが、私は「できる」と思う。
RT<なんだこの『あげくの果てのカノン』は? と思ってしまった。
それは簡単に「できる」ことなのだろうか?「できる」と言ってみせることは重要だし、少なからぬ人は言うだろうが実際に「できる」かと言われると……
当然、その石に時間と経験を読み込まねばならないし、その作業は日増しに過酷になって行くと思う。そしてそれは「愛し続けること」なのだろうか?
わたし自信ないなぁw
わたしの愛するひとをそのひと足らしめる何かがあって、どこかの段階でわたしがそのひとをわたしの愛するそのひとと認識できなくなったら愛するのをやめるというか、愛し方が根本から変わってしまうかもしれない可能性を感じる。
わたしも自信ない(´・ω・)
引用RTの問いかけを読んだとき、わたしにはたぶん愛し続けることはできないのじゃないかなあ…と思った。
6話 結婚はストレージの共有。結婚前にみえなかった一面がみえてそれを好きになれたら2倍ラッキー。好きになれなくて殺してしまうのはただの自分の思う存在を所有したい欲望だ。じゃあ自分のパートナーがそういう所有欲をもっていることに気づいてしまったら?ゲームではパートナーを殺せばアイテムが手にはいる。結婚サギ。ロマンチックでプログマチックな結婚はハイリスクローリターン。信用とは?
嘘をつくことは悪なのか? ――シュタゲ、まどマギ、ピンドラ、そして乙一
リヴァイアサンから人工知能まで
永井均『倫理とはなにか』